Monday 10 December 2018

コンビニ人間

日本に一時帰国して、本を大人買いしてきました。
帰りの荷物は、スーツケースの3分の1くらいが文庫本で埋まってしまった。

今はキンドルがあるから、英国に居ながらにして日本の本が読めますが、
やっぱり、紙の本が好きなんですよねえ。

まあ、夫はミャンマーで本を爆買いして、帰りのスーツケースの
7割くらい本で埋まった事がありますので、それに比べたらカワイイもんです。

さて、今回大人買いした本の中の一冊です。

村田沙耶香さんの「コンビニ人間」



芥川賞を受賞して、24カ国語に翻訳される事が決定。
話題の一冊なので、是非読みたいと思っていたのです。

記憶が定かでなないのですが、どこか(インターネットか何か)で、
「この本は、日本人には共感されるが、外国人には共感されにくい」
といった主旨の記事を見た事があるような気がして、
それも、私の好奇心を刺激していたのです。

さて、読んでみての感想は、

いやあ、面白かった!

たしかに、日本のコンビニを知らないと、共感できにくいかもしません。

さらに、日本に旅行に来てコンビニを数回利用したことがある程度では、
共感できにくいかもしれません。

文学は時として、文化的な背景を共有していない人々には、
共感され難い場合があるのです。

でも、外国人でも、日本のコンビニで働いた事があるとか、
友人など身近な人が日本のコンビニで働いた事があって、苦労話をよく聞いてるとか、
コンビニを、あたかも自分の冷蔵庫のように利用しているとか、
そういう人は、とても面白く読めると思います。


ワタシが思うに、この物語の主人公は、ちょっとサイコパスなんですよね。
そして、自分の危険性は自覚していないけど、
なんとなく、自分が普通じゃないという事は自覚している。

少なくとも、自分が自分自身の判断で物事を行うと、
問題が起こってしまうという事は自覚している。

なので、すべてに於いてマニュアルが整備されており、
自分自身で物事を判断する必要がない「コンビニ店員」というポジションは、
彼女にピッタリの、天職のようなモノで、
彼女にとっては、「コンビニ店員」でいるの事こそが喜びであり、
「コンビニ」で過ごす時間こそが、「活きている」時間なのです。

この本の大前提となる、

『コンビニの店員さんは、人間ではなく「コンビニ店員」である。』

という定義。

これは、一理あると思う。

レジ打ちや袋詰め、品出し、商品の整理、
店舗の掃除やホットフードの準備、
キャンペーンのポップを作ったり、それを掲示したり、
宅配便を受付けたり公共料金の支払いを処理したり。

確かに、一つ一つは簡単な仕事かもしれないけれど、
多岐にわたった大量の仕事を、次々と、場合によってはマルチタスクで、
スピーディに片付けていかなければならない。

こりゃ、人間では無理やわ。

「コンビニ店員」じゃないと。

なのに、コンビニ店員って、スキルとしては認められないのですよね。
一つ一つは、簡単な仕事だから、というのが理由かもしれません。
でも、一つ一つは簡単な作業だとしても、
大量にある簡単な作業うち、どれに優先順位をつけて、
今、何をやるべきか、を的確に判断するには、
「熟練」とまではいわないとしても、「慣れ」が必要だと思うのです。

その為には、「勉強」や「修行」とまではいわないとしても、
「練習」が必要だと思います。

スポーツの様に、身体が勝手に反応するようになるわけですな。

こうなったら、スポーツ選手です。

いっその事、コンビニ店員選手権とか、競技会をやって
入賞者には、賞金か時給アップくらいしてもよいのでは。

簡単な作業ゆえに、AIにやらせようと案もあるのでしょうが、
コレをできるだけのAIを開発しようと思ったら、導入コストが結構かかると思うので、
やっぱり安く雇える人間を雇っちゃえ、となると思うで。

いつの日か、「コンビニ店員」能力が、
スキルとまでは行かなくても、ある種の能力として
認められる日が来ることを望みます。

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